膵臓癌を宣告された義父に、どのように向き合っていくのか…
私の周囲には膵臓癌を患って亡くなった人が多いのです。
よって、膵臓癌に関する知識は程々にありました。
何よりも、義父の黄疸を発見した時点でインターネットで膵臓癌に関する情報を収集しました
医学の知識がないとはいえ、日々目にする義父の様子や、直接義父から聞く対象の変化を聴くにつれて
私は義父の膵臓癌はかなり進行していると感じました
膵臓癌が、相当たちの悪い癌であることは義父も理解していました。
それでも、僅かな希望の光を、駿東郡長泉町にある病院に見出そうと診察を受けることを決めたのです。
この病院へは数回通院しましたが、手術・入院を希望していた義父の希望が叶うことはありませんでした
紹介状を手に初診日は、義父の息子である私の夫が付き添いました。
勿論、車で連れて行きました
義父は通院するつもりでいましたので、同行するBABAには道のりを確認しながら行くように伝えていたそうですが
BABAは自分が車の運転をしてまで通院させるなどとは全く考えていなかったのです
自分の用事(主に遊ぶこと)には、ホイホイと運転をするのにもかかわらず、です。
健康上も全く問題の無いくせに、息子夫婦に運転手をさせるつもりでいたようです
私達夫婦は日常は仕事をしているのです。
初診当日は夫は有給休暇をとって連れて行っているわけです。
BABAは、毎日が日曜日…
挙句の果てには、親戚に運転させることを考えていたのです。
夫は猛反対。
道中、その親戚・知人に何かあったらどうするんだ? と…。
何でもかんでも人任せで、本当に無責任な人間です
夫婦の形態は様々ですが、義父は真面目に働き、財産を残し、暴力をふるうことも無く、毎日を過ごした人間です。
そんな夫に対して、BABAは寄り添うという事を全くしていなかったように感じます。
一部の人には、自分が運転をしてまでも通院させるのが当たり前と言われたにも関わらず、努力もせずに
「そんなこと無理に決まってる!!!!!!!!!」
と、当たり前のように、そして自分は義父の病気の被害者のような顔をしていたようです。
この時点で、私も夫もBABAに期待するのはやめました。
勿論、義父の娘にも…。
駿東郡長泉町の病院から静岡市内の病院に転院するまでの数回、最後の通院日を除いては義父はBABAと、
バス・新幹線・タクシーを乗り継いで通うことになりました。
乗り継いでの行き方は、一回だけ私が同行しました。
この間、私が記憶しているBABAの行動は交通費や病院での精算だけだったように感じます。
付き添う、と言うにはあまりにも一連の行動に心が伴っていませんでした。