似た環境下にある

| 感想
 「本当に?」

 と驚くほどに、似た環境下に置かれている人々がいますface08

 比較的、近い地域に居住して、同じようなキャリアを持ち、家族・親族構成も似通っており、

 な・な・なんと、同じようなBABAに、同じようにひどい目にあっている女性がいるなんて…

 私は、幸せなことに、

 引っ越しましたぁ~

 ですが、ブログに綴った日時とは相当な開きがありますので、ストレスフリーな年末年始を過ごしたのも、ここ近年ではありません。

 だから、『備忘録』 なのですemoji14

 よって、このブログに綴られている内容の全てが、リアルなカレンダーの日付ではありません。

 勿論、リアルなカレンダーの日付のものの方が多いですが…。

 義父のことは随分と過去の話を綴っていますicon53


 同じ環境下であって、『境遇』 という言葉を使用していないことは重要なことです。

 では、私が過去に居住していた地域の高齢の女性は、皆がみんなBABAのような性格なのだろうか…

 ひょっとしたら、私はその似通った環境下にある女性とすれ違っていたり…

 言葉を交わしていたのかもしれないと…

 
 
 ひょんなことから、以前居住していた地域で親しくなった女性から、その情報を得ました。

 

 まるで、『影武者』 みたいだよねぇ~


 と、ヒトごとのように笑ってしまいました。


 私は、とっくにBABAとは決別していますので、もう、毒に侵されることは無い生活を送ることができています。

 接触することで、病がぶり返すので、接触することを医者から禁じられている次第です。


 よって、長期にわたってBABAとは接触していません。

 ここまでの道のりは、本当に長く・険しいものでした。


 やっと手に入れた平穏な生活ですemoji51


 もっと、酷い環境下にある方々もこの世の中にはたくさんいることは少なからずも承知していますが、

 私と似た環境下にある彼女の今が、 『平穏』 であることを望みますface01


 


Posted by 向日葵. at 2019年02月26日09:29

叱られるを教わる…?!

 朝食の支度をしながら、某国営放送で紹介されていたことに違和感を覚えましたicon13

 『叱られ方を教える』 という内容のものでありました。

 『叱り方を教える』 であれば、何となくスルー出来たかもしれませんが…

 そもそも、『叱る』 ってどういう意味なのか?

 三省堂のスーパー大辞林3.0によりますと

 ①(目下の者に対して)相手の良くない言動をとがめて、強い態度で責める。

 とあります。

 新旧は別として、社会人対象に 『叱られ方を教える』 とは何ぞや?face08

 
 某国営放送の解説委員と思しき人物が

 「成長のために叱る」

 というセリフで締めくくっていましたが、私は思うのです。

 「成長のために叱る」

 って、子供に言うセリフじゃねぇ?face09


 社会人としての成長を望むのであれば、『叱る』 のではなく 『指導する』 じゃねぇ?face09


 社会人となっても、『躾』 は重要な事柄です。

 しかし、社会人となる前後では 『躾』 の内容が異なることを大人はもっと自覚するべきです。


 『褒める』 だけでは人間は成長しないことを、教育する立場にある者はもっと自覚するべきです。


 「叱られ方を教わる」という 『受け身』 の情報は大変なリスクを伴っていることを理解した方がいいでしょう。

 何故、叱るのか? 何故、叱られるのか?

 
 何故、注意(指導)をするのか? 何故、注意(指導)を受けているのか?

 に置き換えて、原因を究明して対策を練るという “能動的” な情報と行動こそが社会人を成長させることだと

 私は思うのですemoji51

 続きは、後日。



Posted by 向日葵. at 2019年02月19日09:58

パニクるとは その弐

 パニクって、その後修復できない人も当然の如くいます。

 心の病に罹っている人は、薬等の助けがないと修復できない場合もあるようです。

 この広い世界に、心の病とまではいかずとも、精神的に強い・弱いに差のある人間が存在するのは当然の如くあるでしょう。

 しかし、私はBABAの 「パニクる」 というセリフだけは到底、許容できないのですface09

 何故か?

 BABAの 「パニクる」 は、

 責任逃れ

 だけだからです。

 その当初は、本当にパニックになっていたのかもしれませんが…

 それはほんの一瞬だけに違いありません。

 
 義父が余命宣告をされたその帰り道、夫が運転する車の後部座先で

 「帰りにお寿司を買っていこうね」

 と、笑顔で言える無神経な人間が、そもそも 「パニクる」 かねぇ~ と私は思うのですface08

 「よくも、今そんなことが言えるなぁicon34

 と、義父に怒鳴られたことは言うまでもありません。

 
 「パニクる」 というセリフを言い訳にする人間は、ロクなもんじゃねぇ、というのが私の感想です。

 このセリフを、 「頭の中が真っ白になって」 と言うセリフに置き換えて、反省・謝罪に使用できる人間が

 『使える』 人間だと思うのですface01

 
 
 義父が入院するときも、BABAは本当に 『使えない』 人間でしたface07

 日頃から、大した知識もないのに口だけ達者で、あちこちに顔を出しては偉そうにしているくせに

 ケアマネージャーには、「パニクっちゃって」 を連発して周囲の話を聞こうともせず、自分の主張しかしないため

 最終的には、病院のスタッフもケアマネージャーも呆れていました。

 よって、病院のスタッフもケアマネージャーも、冷静な私に話をするのは当然のことなのに

 無神経にくちばしを挟んでは、話を混ぜっ返していました。

 正直、いない方がマシ、でした。



 入院するときも、退院するときも、病院のスタッフ・ケアマネージャーはBABAに悪い印象しかなかったことは

 本人は知る由もないでしょう。


 オオカミ少年の童話と一緒で、 「パニクる」 を無責任に連発していると、本当に 「パニクった」 ときに

 信用してもらえませんよicon57


Posted by 向日葵. at 2019年02月14日10:15

パニクる、とは その壱

 現代語、ですよね。

 若者言葉、とも言いますね。

 パニックに陥り、冷静さを失う状態のことを指していると思われます。

 このような言葉は、使用する場に注意を要します(当然のことですが…)

 所謂、TPO って言うことですface01

 また、冷静さを失ったままでは本人というよりも、周囲が非常に迷惑します。

 本当に、迷惑…face08face07

 
 BABAは、自分に都合が悪い状況下になるとこの言葉を使用して、自分を正当化します。

 義父が、膵臓癌になった時にそれは顕著でした。


 自分の配偶者が余命宣告を受けたら、そりゃあ 『パニクる』 のは当然のことです。

 パニックにならない方がどうかしている…face07


 しかし、いつまでもパニック状態でいるようでは迷惑です。

 これから、どうするかの対策を練る方向に行かなければいけません。


 ここ最近、話題になっている野田市の悲惨な事件についても言えますよね。

 子供の将来を左右するような職に就いている人間が、父親の言動にいちいちパニクっていられては困りますicon05


 もっと冷静に、もっと勇気をもって、もっと知識を習得していれば、あの子供の将来はまだまだ続いていたことでしょう。

 パニクって、その状況から逃げたままにしていることは、責任放棄なのです。


 長い人生、反省することは大いに必要ですが、後悔をしないように歩みたいものです。


Posted by 向日葵. at 2019年02月10日12:56

節分です

| 感想



 今日は、節分です。

 柊・鰯の頭を玄関先に飾りました。

 無病息災を祈りつつ…face01

 




 赤鬼さん、本当は心優しい鬼さんだと信じています。

 だって、心を鬼にしてって…

 愛情の裏返しicon06


 太巻き寿司ではなく、中くらいの食べやすいサイズで手作りします。

 商業ベースに乗っかって、食べるものを粗末にしてはいけません。


 太巻き寿司を無理やり食べるよりも、柊・鰯の頭を玄関先に飾る方が縁起がいいと思いませんか?

 本末転倒って、昨今の太巻きブームのことのような気がしてなりません。

 
 そんなことがわからないような人間が人の上に立っていることを残念に思うのは私だけではないですよね


 福は内!!




Posted by 向日葵. at 2019年02月03日11:46

それから、そして、これから… その弐

 駿東郡長泉町の病院で、入院・治療をすることで、義父は多少なりとも延命に希望を持っていたようでした。

 しかし、すでに肝転移していた義父は手術による治療は不可能でしたface08

 その病院では、癌の進行の程度と余命宣告を受けるしかありませんでした。

 義父が入院を希望したところで、それが叶うはずはありません。

 冷静に考えれば判断できることです。

 
 義父の癌の進行状態と年齢から、また自宅からの距離を考慮すれば当たり前のことです。

 もっと、この病院での治療を必要とする人間が山ほどいるという事です。

 治る見込みのある患者、それも年齢的にもっと若い患者を優先するのは当然です。

 そこで、今後の延命治療を行う病院を決めることにしました。

 そこでも、BABAはとんでもないことを口にしていましたicon34

 当時、私たちが住んでいた地域には総合病院と呼べる病院は一つしかありませんでした。

 しかし、延命にこだわる義父は静岡市内の病院を希望しました。

 「通うに大変だから、近くの病院にすればいいじゃん」

 「静岡までなんだからお前(BABA)が運転すればええじゃないか」

 「静岡までなんてとっても運転できない」


 私は思った。じゃあ、どこまでなら運転するんだ…face09

 
 少し遠いけれど頑張ろう

 
 と何故、考えない・言えないのでしょう…face09


 余命宣告をされた人間の気持ちを察することが出来ないのでしょうか?

 少しでも長く生きていてもらいたいと思わないのでしょうか?

 
 担当医は 「お義父本人の気持ちを尊重してあげることがまずは第一です」 とおっしゃいました。


 そこで、夫が

 「親父がその病院に行きたいというのであればそうしよう。先生、紹介状をお願いします」

 と、言い、静岡市内への転院が決まりました。


 そのあと、夫と私が診察室に残されて今後について担当医と看護師から話がありました。


 担当医は

 「お力になれずに申し訳ありません」

 と言ってくださいました。

 常套句、と言う人もいるでしょうが、私はその言葉に医者としての誠意を感じました。

 義父の生存できる期間を、大まかではありますが聞いた時はショックでした。

 私は号泣…icon11

 診察室を出ると、看護師の方が私に寄り添ってくれました。

 私の背中を擦りながら、

 「お義父様と、どうか一緒に頑張ってあげて。遠くのこの病院に通院する時間よりも、少しでも近くの病院に通院することの方が、お義父

 様にとって残された時間を有意義に過ごせると思います。この病院には一種の神話のようなものがあって、遠方から来てお義父様のよ
 
 うに入院を希望される方もいますが、お義父様の病状では治療方法はどの病院でも異なることはありません。ご自宅で、ご家族と一緒

 に有意義に過ごされることの方がご本人にとって幸せだと思います。お嫁さん、頑張り過ぎてからだを壊さないようにね」

 と言ってくれました。


 一番つらいのは、誰なのか?

 義父なのです。


 それでも、義父は亡くなるまで優しい義父でした。

 私も義父との残された時間を後悔の無いように過ごそうと思いましたemoji52
 


Posted by 向日葵. at 2019年01月30日11:10

それから、そして、これから… その壱

 膵臓癌を宣告された義父に、どのように向き合っていくのか…

 私の周囲には膵臓癌を患って亡くなった人が多いのです。

 よって、膵臓癌に関する知識は程々にありました。

 何よりも、義父の黄疸を発見した時点でインターネットで膵臓癌に関する情報を収集しましたemoji25

 
 医学の知識がないとはいえ、日々目にする義父の様子や、直接義父から聞く対象の変化を聴くにつれて

 私は義父の膵臓癌はかなり進行していると感じましたface08

 
 膵臓癌が、相当たちの悪い癌であることは義父も理解していました。

 それでも、僅かな希望の光を、駿東郡長泉町にある病院に見出そうと診察を受けることを決めたのです。

 この病院へは数回通院しましたが、手術・入院を希望していた義父の希望が叶うことはありませんでしたface07


 紹介状を手に初診日は、義父の息子である私の夫が付き添いました。

 勿論、車で連れて行きましたicon17

 義父は通院するつもりでいましたので、同行するBABAには道のりを確認しながら行くように伝えていたそうですが

 BABAは自分が車の運転をしてまで通院させるなどとは全く考えていなかったのですicon09

 自分の用事(主に遊ぶこと)には、ホイホイと運転をするのにもかかわらず、です。


 健康上も全く問題の無いくせに、息子夫婦に運転手をさせるつもりでいたようですemoji05

 私達夫婦は日常は仕事をしているのです。

 初診当日は夫は有給休暇をとって連れて行っているわけです。

 BABAは、毎日が日曜日…


 挙句の果てには、親戚に運転させることを考えていたのです。

 夫は猛反対。

 道中、その親戚・知人に何かあったらどうするんだ? と…。


 何でもかんでも人任せで、本当に無責任な人間ですicon08


 夫婦の形態は様々ですが、義父は真面目に働き、財産を残し、暴力をふるうことも無く、毎日を過ごした人間です。

 そんな夫に対して、BABAは寄り添うという事を全くしていなかったように感じます。

 一部の人には、自分が運転をしてまでも通院させるのが当たり前と言われたにも関わらず、努力もせずに

 「そんなこと無理に決まってる!!!!!!!!!」

 と、当たり前のように、そして自分は義父の病気の被害者のような顔をしていたようです。


 この時点で、私も夫もBABAに期待するのはやめました。

 勿論、義父の娘にも…。


 駿東郡長泉町の病院から静岡市内の病院に転院するまでの数回、最後の通院日を除いては義父はBABAと、
 
 バス・新幹線・タクシーを乗り継いで通うことになりました。


 乗り継いでの行き方は、一回だけ私が同行しました。

 
 この間、私が記憶しているBABAの行動は交通費や病院での精算だけだったように感じます。

 付き添う、と言うにはあまりにも一連の行動に心が伴っていませんでした。


Posted by 向日葵. at 2019年01月29日10:41

ふと、思う

| 感想
 この備忘録を綴っているのは何の為なのだろうと、改めて思うことがあります。

 ブログの意味は、おおむね『日記』という事らしいです。

 とすると、果たして日記は公表するものなのかという疑問がわいてきます。

 が、日記を公表してはならないという決まりが無いのも事実です。

 しかし、公表するからには人権を侵害するようなことを残してはならないことは周知のとおりです。

 
 嫁姑の関係は、本当に複雑なものです。

 それを面白可笑しく公表できることは、私の尺度で考えれば幸せな環境下であり、終わりよければすべてよし

 だったんだねぇ~という事になります。

 
 BABAの悪口を言うためのブログでないことは事実ではありますが、あまりにも義父が気の毒で…。

 私がBABAのために失ったものも多すぎて…。


 BABAの悪行を綴るときは、優しかった義父と、私が失ったものの

 『供養』

 と思って辛辣な意見を述べているのです。


 BABAの悪行は、未だに大きなどす黒いシミとなっているのでしょう。

 そのシミを漂白するために、ブログに悪行を綴り続けるかもしれません。


 勿論、私を支えてくれている方々への感謝の気持ちを残すためにも、天使の羽のように真っ白で・柔らかな

 出来事も綴っていきたいと思っています。


Posted by 向日葵. at 2019年01月28日14:16

やっぱり…

| 闘病
 自分のことしか考えないBABAは、自分の夫が息子の嫁と病院へ行くのは体裁が悪いとしか思えなかったのか…。

 それでも自分を正当化するかの如く

 「向日葵ちゃんは、仕事が忙しいでしょうから、私が連れて行くよ…」

 と言いました。

 (そう思っているのだったら、もっとちゃんと家事をやれよ…)
 (さっさと、病院へ連れていけよ…)

 BABAは、評判が良いからと自分は朝から予約を取りに行ってまで遠方の病院には行くくせに、その評判の良い医者に義父を

 なかなか連れて行きませんでした。

 田舎の総合病院で胃カメラを飲んだところで、埒が明くわけもなく、嫁の態度に慌ててようやくその評判の良い医者に見せたころには

 義父の病気は手遅れだったのです。

 そうです。

 やっぱリ…

 私の感は的中しました。


Posted by 向日葵. at 2019年01月20日22:14

病院に行こう

| 闘病
 三が日も過ぎ、七草粥も食べて無病息災を祈りつつ、正月気分も徐々に薄れ始めたこの時期に思い出すのは、亡くなった義父との会話です。


 朝食の後片付けをしていると、義父が独りで台所に入ってきました。

 BABAのいないところで、私と話をしたかったのでしょうface01

 「餅の食べ過ぎかなぁ」

 「ん?どうかした?」

 「なんだか、この辺りがせいせいしない(すっきりしない)」(と、胃のあたりをさすりながら…)

 私は、この会話を、今でも忘れることは出来ませんface07


 健康、と言うよりは、『丈夫』であることが自慢の義父だ。 齢80を過ぎても現役で仕事をしていた。

 義父とは、そりゃぁ色々な感情が交錯したのは事実ですが、時の経過とともに、私と義父の間には信頼関係が気付かれていました。

 よって、このような体調に関する「弱音」ともいえることを告げるときは、決して大袈裟なことではないと直感しましたface08

 
 「薬は飲んだ?」

 「胃腸薬でも飲んでみるかなぁ」

 「そうした方がいいよ」

 しかし、その数日後に義父は

 「数の子の消化が悪かったかなぁ~。薬を飲んでも良くない」

 「病院へ行った方がいいよ」

 「そうするか」

 一月に入ってから、義父は仕事も休んでいました。

 晩酌のビールや焼酎も美味くないと言うようになりました。

 食事も美味くないと言うようにもなりました(BABAの料理はもともと不味いけれど…)

 
 高血圧の薬を処方される近所の町医者に行っても埒があきません。

 義父の病気を見つけることの出来なかった、この町医者も町医者だけど、一番の問題はやっぱりBABAなのです。

 
 何故、すぐに大きな病院に連れて行かなかったのでしょう…face09

 それはBABAが

 薄情

 だからです。人を思いやる気持ちのかけらもないからです。


 具合が悪いと言っている夫にBABAは、こう言い放ったのです。


 「どうするの?病院に行くの行かないの!ハッキリして!」

 と…


 売り言葉に買い言葉

 義父も

 「いかない!!」

 となってしまうのです。


 病院ぐらい1人で行けるでしょう?って?

 都会のように、田舎には多くの総合病院はありません。

 自動車の免許を取得していないだけではなく、面倒な手続きを嫌う義父には付き添う人間が必要なのです。

 
 そんなこんなで数日過ぎたころでした。

 私が台所で洗い物をしていると、義父が入ってきて向かい側に腰を下ろしました。

 義父が私に何か話しかけてきましたが、その内容は全く記憶にありません。

 私が鮮明に記憶しているのは、義父の顔の表情ではなくその顔色です。


 義父の顔が黄色いのですface08

 そうです。
 
 黄疸の症状ですface07


 膵臓癌…

 
 何故かはわかりません。私の頭の中に浮かんだのはその病名でした。


 「お義父さん。私と病院へ行こう」

 「ん?突然どうした?」

 「いいから、すぐに病院に行こう」



Posted by 向日葵. at 2019年01月16日22:22