それから、そして、これから… その弐

 駿東郡長泉町の病院で、入院・治療をすることで、義父は多少なりとも延命に希望を持っていたようでした。

 しかし、すでに肝転移していた義父は手術による治療は不可能でしたface08

 その病院では、癌の進行の程度と余命宣告を受けるしかありませんでした。

 義父が入院を希望したところで、それが叶うはずはありません。

 冷静に考えれば判断できることです。

 
 義父の癌の進行状態と年齢から、また自宅からの距離を考慮すれば当たり前のことです。

 もっと、この病院での治療を必要とする人間が山ほどいるという事です。

 治る見込みのある患者、それも年齢的にもっと若い患者を優先するのは当然です。

 そこで、今後の延命治療を行う病院を決めることにしました。

 そこでも、BABAはとんでもないことを口にしていましたicon34

 当時、私たちが住んでいた地域には総合病院と呼べる病院は一つしかありませんでした。

 しかし、延命にこだわる義父は静岡市内の病院を希望しました。

 「通うに大変だから、近くの病院にすればいいじゃん」

 「静岡までなんだからお前(BABA)が運転すればええじゃないか」

 「静岡までなんてとっても運転できない」


 私は思った。じゃあ、どこまでなら運転するんだ…face09

 
 少し遠いけれど頑張ろう

 
 と何故、考えない・言えないのでしょう…face09


 余命宣告をされた人間の気持ちを察することが出来ないのでしょうか?

 少しでも長く生きていてもらいたいと思わないのでしょうか?

 
 担当医は 「お義父本人の気持ちを尊重してあげることがまずは第一です」 とおっしゃいました。


 そこで、夫が

 「親父がその病院に行きたいというのであればそうしよう。先生、紹介状をお願いします」

 と、言い、静岡市内への転院が決まりました。


 そのあと、夫と私が診察室に残されて今後について担当医と看護師から話がありました。


 担当医は

 「お力になれずに申し訳ありません」

 と言ってくださいました。

 常套句、と言う人もいるでしょうが、私はその言葉に医者としての誠意を感じました。

 義父の生存できる期間を、大まかではありますが聞いた時はショックでした。

 私は号泣…icon11

 診察室を出ると、看護師の方が私に寄り添ってくれました。

 私の背中を擦りながら、

 「お義父様と、どうか一緒に頑張ってあげて。遠くのこの病院に通院する時間よりも、少しでも近くの病院に通院することの方が、お義父

 様にとって残された時間を有意義に過ごせると思います。この病院には一種の神話のようなものがあって、遠方から来てお義父様のよ
 
 うに入院を希望される方もいますが、お義父様の病状では治療方法はどの病院でも異なることはありません。ご自宅で、ご家族と一緒

 に有意義に過ごされることの方がご本人にとって幸せだと思います。お嫁さん、頑張り過ぎてからだを壊さないようにね」

 と言ってくれました。


 一番つらいのは、誰なのか?

 義父なのです。


 それでも、義父は亡くなるまで優しい義父でした。

 私も義父との残された時間を後悔の無いように過ごそうと思いましたemoji52
 
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月30日11:10

それから、そして、これから… その壱

 膵臓癌を宣告された義父に、どのように向き合っていくのか…

 私の周囲には膵臓癌を患って亡くなった人が多いのです。

 よって、膵臓癌に関する知識は程々にありました。

 何よりも、義父の黄疸を発見した時点でインターネットで膵臓癌に関する情報を収集しましたemoji25

 
 医学の知識がないとはいえ、日々目にする義父の様子や、直接義父から聞く対象の変化を聴くにつれて

 私は義父の膵臓癌はかなり進行していると感じましたface08

 
 膵臓癌が、相当たちの悪い癌であることは義父も理解していました。

 それでも、僅かな希望の光を、駿東郡長泉町にある病院に見出そうと診察を受けることを決めたのです。

 この病院へは数回通院しましたが、手術・入院を希望していた義父の希望が叶うことはありませんでしたface07


 紹介状を手に初診日は、義父の息子である私の夫が付き添いました。

 勿論、車で連れて行きましたicon17

 義父は通院するつもりでいましたので、同行するBABAには道のりを確認しながら行くように伝えていたそうですが

 BABAは自分が車の運転をしてまで通院させるなどとは全く考えていなかったのですicon09

 自分の用事(主に遊ぶこと)には、ホイホイと運転をするのにもかかわらず、です。


 健康上も全く問題の無いくせに、息子夫婦に運転手をさせるつもりでいたようですemoji05

 私達夫婦は日常は仕事をしているのです。

 初診当日は夫は有給休暇をとって連れて行っているわけです。

 BABAは、毎日が日曜日…


 挙句の果てには、親戚に運転させることを考えていたのです。

 夫は猛反対。

 道中、その親戚・知人に何かあったらどうするんだ? と…。


 何でもかんでも人任せで、本当に無責任な人間ですicon08


 夫婦の形態は様々ですが、義父は真面目に働き、財産を残し、暴力をふるうことも無く、毎日を過ごした人間です。

 そんな夫に対して、BABAは寄り添うという事を全くしていなかったように感じます。

 一部の人には、自分が運転をしてまでも通院させるのが当たり前と言われたにも関わらず、努力もせずに

 「そんなこと無理に決まってる!!!!!!!!!」

 と、当たり前のように、そして自分は義父の病気の被害者のような顔をしていたようです。


 この時点で、私も夫もBABAに期待するのはやめました。

 勿論、義父の娘にも…。


 駿東郡長泉町の病院から静岡市内の病院に転院するまでの数回、最後の通院日を除いては義父はBABAと、
 
 バス・新幹線・タクシーを乗り継いで通うことになりました。


 乗り継いでの行き方は、一回だけ私が同行しました。

 
 この間、私が記憶しているBABAの行動は交通費や病院での精算だけだったように感じます。

 付き添う、と言うにはあまりにも一連の行動に心が伴っていませんでした。
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月29日10:41

ふと、思う

| 感想
 この備忘録を綴っているのは何の為なのだろうと、改めて思うことがあります。

 ブログの意味は、おおむね『日記』という事らしいです。

 とすると、果たして日記は公表するものなのかという疑問がわいてきます。

 が、日記を公表してはならないという決まりが無いのも事実です。

 しかし、公表するからには人権を侵害するようなことを残してはならないことは周知のとおりです。

 
 嫁姑の関係は、本当に複雑なものです。

 それを面白可笑しく公表できることは、私の尺度で考えれば幸せな環境下であり、終わりよければすべてよし

 だったんだねぇ~という事になります。

 
 BABAの悪口を言うためのブログでないことは事実ではありますが、あまりにも義父が気の毒で…。

 私がBABAのために失ったものも多すぎて…。


 BABAの悪行を綴るときは、優しかった義父と、私が失ったものの

 『供養』

 と思って辛辣な意見を述べているのです。


 BABAの悪行は、未だに大きなどす黒いシミとなっているのでしょう。

 そのシミを漂白するために、ブログに悪行を綴り続けるかもしれません。


 勿論、私を支えてくれている方々への感謝の気持ちを残すためにも、天使の羽のように真っ白で・柔らかな

 出来事も綴っていきたいと思っています。
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月28日14:16

やっぱり…

| 闘病
 自分のことしか考えないBABAは、自分の夫が息子の嫁と病院へ行くのは体裁が悪いとしか思えなかったのか…。

 それでも自分を正当化するかの如く

 「向日葵ちゃんは、仕事が忙しいでしょうから、私が連れて行くよ…」

 と言いました。

 (そう思っているのだったら、もっとちゃんと家事をやれよ…)
 (さっさと、病院へ連れていけよ…)

 BABAは、評判が良いからと自分は朝から予約を取りに行ってまで遠方の病院には行くくせに、その評判の良い医者に義父を

 なかなか連れて行きませんでした。

 田舎の総合病院で胃カメラを飲んだところで、埒が明くわけもなく、嫁の態度に慌ててようやくその評判の良い医者に見せたころには

 義父の病気は手遅れだったのです。

 そうです。

 やっぱリ…

 私の感は的中しました。
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月20日22:14

病院に行こう

| 闘病
 三が日も過ぎ、七草粥も食べて無病息災を祈りつつ、正月気分も徐々に薄れ始めたこの時期に思い出すのは、亡くなった義父との会話です。


 朝食の後片付けをしていると、義父が独りで台所に入ってきました。

 BABAのいないところで、私と話をしたかったのでしょうface01

 「餅の食べ過ぎかなぁ」

 「ん?どうかした?」

 「なんだか、この辺りがせいせいしない(すっきりしない)」(と、胃のあたりをさすりながら…)

 私は、この会話を、今でも忘れることは出来ませんface07


 健康、と言うよりは、『丈夫』であることが自慢の義父だ。 齢80を過ぎても現役で仕事をしていた。

 義父とは、そりゃぁ色々な感情が交錯したのは事実ですが、時の経過とともに、私と義父の間には信頼関係が気付かれていました。

 よって、このような体調に関する「弱音」ともいえることを告げるときは、決して大袈裟なことではないと直感しましたface08

 
 「薬は飲んだ?」

 「胃腸薬でも飲んでみるかなぁ」

 「そうした方がいいよ」

 しかし、その数日後に義父は

 「数の子の消化が悪かったかなぁ~。薬を飲んでも良くない」

 「病院へ行った方がいいよ」

 「そうするか」

 一月に入ってから、義父は仕事も休んでいました。

 晩酌のビールや焼酎も美味くないと言うようになりました。

 食事も美味くないと言うようにもなりました(BABAの料理はもともと不味いけれど…)

 
 高血圧の薬を処方される近所の町医者に行っても埒があきません。

 義父の病気を見つけることの出来なかった、この町医者も町医者だけど、一番の問題はやっぱりBABAなのです。

 
 何故、すぐに大きな病院に連れて行かなかったのでしょう…face09

 それはBABAが

 薄情

 だからです。人を思いやる気持ちのかけらもないからです。


 具合が悪いと言っている夫にBABAは、こう言い放ったのです。


 「どうするの?病院に行くの行かないの!ハッキリして!」

 と…


 売り言葉に買い言葉

 義父も

 「いかない!!」

 となってしまうのです。


 病院ぐらい1人で行けるでしょう?って?

 都会のように、田舎には多くの総合病院はありません。

 自動車の免許を取得していないだけではなく、面倒な手続きを嫌う義父には付き添う人間が必要なのです。

 
 そんなこんなで数日過ぎたころでした。

 私が台所で洗い物をしていると、義父が入ってきて向かい側に腰を下ろしました。

 義父が私に何か話しかけてきましたが、その内容は全く記憶にありません。

 私が鮮明に記憶しているのは、義父の顔の表情ではなくその顔色です。


 義父の顔が黄色いのですface08

 そうです。
 
 黄疸の症状ですface07


 膵臓癌…

 
 何故かはわかりません。私の頭の中に浮かんだのはその病名でした。


 「お義父さん。私と病院へ行こう」

 「ん?突然どうした?」

 「いいから、すぐに病院に行こう」

  


Posted by 向日葵. at 2019年01月16日22:22

お疲れさまでした

| 感想
 横綱 稀勢の里、引退。

 本当にお疲れさまでした。

 彼の相撲は、正しい相撲でした。

 どのような手を使っても勝つという相撲を取ることは、きっと彼のプライドが許さなかったのでしょう。

 
 まさに、横綱!!

 残念ですが、暫くの間は、横綱らしい正統派の相撲を見ることは出来なくなってしまいました。

 元貴乃花親方のように、正統派を行く横綱の生きにくい時代になったような気がします。

 『勝つことこそが重要』

 が当たり前だと言うような人間にはなりたくありません。


 その者がおかれている立場を認識することこそが重要なのですface01
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月16日09:37

明けましておめでとうございます

| 感想
 ストレスフリーの年末年始でしたface02

 夫と年末年始を過ごすのは約20年ぶりです(ちなみに私たちは結婚21年目)

 BABAの存在は“悪”というよりも、“毒”だという事が証明されたようなものです。

 引っ越しをする前は、BABAの姿や、BABAの発する生活音で血圧が上昇し、不整脈になり、心臓が締め付けられるように痛むことがありました。病院のドクターにも、心配されるような状況でした。

 が、しかし…

 引っ越したとたんに、その症状がピタリと止んだのですicon12

 病は気から

 病はBABAから

 いやはや、本当にめでたい!!

 今年も、ボチボチと前に進みますemoji10
  


Posted by 向日葵. at 2019年01月09日10:16